sidebarある(特集記事)

日系事業、催涙弾を撃たれた日本人ほか日系社会の現状に迫る 日系社会の現在

日系事業、催涙弾を撃たれた日本人ほか日系社会の現状に迫る 日系社会の現在 軍事政権の対応、少数民族武装勢力の動向は? ミャンマー騒乱の行方 日本経済大学 特命教授 日本ミャンマー未来会議 代表理事 井本 勝幸[Imoto Katsuyuki] ミャンマーでの戦没者の遺骨収集や少数民族武装勢力との和平交渉などで、多くのコネクションを持つ“ゼロファイター”こと井本氏。ミャンマーは一体どのような道筋を辿るのか。幅広い観点から話を聞いた。 武力に訴える軍事政権 今後の情勢とは一体 ──今後、軍事政権はどういう動きをすると思いますか  結果的に8888民主化運動(1988年)、サフラン革命(2007年)のときと同様、武力に訴える形になると思います。もはや矛に収めるというのは、国軍の性格上ないと考えています。 ──先の情勢はどう考えていますか  想定しうるストーリーは2つあり、1つは民主化に長い年月がかかったとしても軍事政権が続くこと、もう1つは軍事政権が打倒され、2月1日以前の状態に戻ること。しかし、後者は厳しいと考えています。  それが成功するには、国際連合(UnitedNations)をはじめとする国際社会の影響が大きいのですが、ただ声明を出したり、経済制裁では状況は改善しないでしょう。いわゆるPKOでも出ない限り、厳しいでしょうし、一方で日本人をはじめ多くの外国人がミャンマーに在住しているため、外国人保護のための対応も必要となります。その後、国際社会が国軍と対話するなど複雑な過程がある以上、後者の可能性は低いと思われます。 ──では、国際社会はどう対応すべきでしょうか  現在は軍政、市民双方が感情的になっており、こうした状況が1年も2年も続くことはなく、そうなれば軍事政権を諭す必要性が生まれてきます。例えば、第三国が公平で開かれた再選挙を仲介し、欧米各国の監視団を呼んで実施するといったことです。 ──軍事政権は1年後に選挙を行うとのことですが  軍事政権は自分たちが制定した2008年の憲法には忠実ですので、選挙は実施すると思います。元々、軍事政権はインドネシアをモデルにした緩やかな民主主義への移行が理想だったのですが、アウン・サン・スー・チーさんというスーパースターが出てきたために形勢が逆転し、彼らにとっても予想外なスピードで民主化が進んだわけです。 ──少数民族武装勢力がCRPH(NLD当選議員で構成される連邦議会代表者委員会)に協力し、軍事政権に反意を示しています。内戦にはならないでしょうか  彼らは市民不服従運動(CDM)に協力すると表明していますが、基本的に実行支配地の専守防衛というスタンスですので、ヤンゴンや都市部まで来て行動することはないでしょう。また、カチン独立軍(KIO)、カレンニー民族進歩党(KNPP)、モン国民解放軍(NMSP)のリーダーたちとも話しているなかで、CRPHのビジョンがわからないと言っていましたが、ようやくCRPHによる声明文が発表されました。そもそも彼らにとっては、今回は「ビルマ族同志の争い」というスタンスでしたし、「CRPHがどんなミャンマーを作りたいのか」「どんな連邦制なのか」「少数民族をどう考えているのか」といったことが重要だったわけです。少数民族武装勢力は国軍に対する一定の抑止力になると思いますが、それは過去も今も変わらず、専守防衛で自分たちのテリトリーを守るということでしょう。 難民が増加する可能性も 国際社会の支援も必要に ──国軍関係者ともやりとりしているとのことですが  遺骨収集の関係で、国軍の影響力が濃い国防省、情報省、スポーツ・観光省の関係者とやりとりしています。また、和平交渉においても国軍と少数民族武装勢力との間で担当者と関わってきました。ティン・セイン政権下で当時の和平交渉担当だったアウン・ミン元大臣は、現在も付き合いが続いており、今回の件についてもいろいろと話を聞いています。 ──CDMはどれくらい続くでしょうか  ミャンマーに限らず、世界中のあらゆるデモは時間の経過とともに疲弊し、規模が縮小していきます。ただ、そのなかでも強硬派はいますし、現在若者を中心に武力闘争すべきという声も出てきました。それは8888運動、サフラン革命の焼き直しであり、結果としては武装化し、地方の少数民族武装勢力に逃げ込んで抵抗するのです。全ビルマ学生民主戦線(ABSDF)はまさにそうで、8888運動で弾圧を受けた学生たちがカレン民族同盟(KNU)などと組んで国軍と闘争を続けました。歴史は繰り返しています。 ──デモ隊が難民化することもありえますか  CDMを先導していたリーダーたちは拘束されますので、その地域から離れなければならない。また、家族にも手が及ぶので、逃げるしか方法はありません。タイは一時的な難民の受け入れを表明しましたが、もし国境地帯で行き止まりとなれば、少数民族武装勢力に守ってもらうしかなくなります。モン州、カレン州、シャン州にも少数民族武装勢力がいるので、そうしたところが安全地帯になるでしょう。  そのため、国際社会は緊急救援、人道支援を視野に入れ、準備が必要になりますし、すでに着手した方がいいと考えています。 シュエゴンダインで起きた衝撃の事件 催涙弾が住居に被弾 機動隊の様子を動画撮影をしていた新町さんに起こったまさかの体験。 催涙弾の被害とは? 被弾したときの状況とは?   続きを読む >> (全文をお読みいただくには「プレミアム会員」のご登録が必要となります) スタートアップ起業家が仕掛けるミャンマー支援 貧困地域でコメを配布 「生活に困っている人を助けてあげたい」と始めたRice Donation Movement(RDM)。 責任者の高田氏はどういった思いで活動をスタートさせたのか?   続きを読む >> (全文をお読みいただくには「プレミアム会員」のご登録が必要となります) << 前ページ

シュエゴンダインで起きた衝撃の事件 催涙弾が住居に被弾

シュエゴンダインで起きた衝撃の事件 催涙弾が住居に被弾 機動隊の様子を動画撮影をしていた新町さんに起こったまさかの体験。 催涙弾の被害とは? 被弾したときの状況とは?  2月28日、軍隊と警察が放った催涙弾が日本人住居に被弾。ヤンゴンの日系社会に大きな衝撃が走った。場所はバハン地区のシュエゴンダイン交差点近くのアパート。ヤンゴン在住者にはおなじみの交差点であり、まさか日本人の住居に催涙弾が撃ち込まれると思っていた人は皆無だったに違いない。しかし、現実に起きてしまった。  この事件を経験したのは、長年ミャンマーでエンタメ事業に携わる新町さん。クーデター以降、シュエゴンダイン交差点ではデモ活動が行われていたものの、当初の二大拠点であるスーレーパゴダ付近やレーダン周辺と比べるとはるかにその規模は小さく、ターゲットになるとはおよそ考えられなかった。「僕もそう思っていました。しかし、状況は変わったんです」。  遡ればその兆しはあった。2月23日、シュエゴンダイン交差点から入るダマゼディ通りが機動隊によって封鎖される。それはあくまでもデモ隊を威嚇するためではなく、シンガポール大使館前でのデモ活動をさせないのが目的。 全文を読む >> (全文をお読みいただくには「プレミアム会員」のご登録が必要となります)

スタートアップ起業家が仕掛けるミャンマー支援 貧困地域でコメを配布

スタートアップ起業家が仕掛けるミャンマー支援 貧困地域でコメを配布 「生活に困っている人を助けてあげたい」と始めたRice Donation Movement(RDM)。責任者の高田氏はどういった思いで活動をスタートさせたのか?  本誌が発行される4月1日の時点では、いくつも見かけるようになったミャンマーへの寄付や支援。それを現地にいながら先駆けて実行したのが、デリバリーサービスHi-Soの代表取締役である高田氏。彼は”Rice Donation Movement”、略してRDMと銘打ち、貧窮するミャンマー人にコメを寄付する活動を行い、すでに12トンの食糧支援を完了した。  支援に至った経緯は、経済活動がストップしていれば、自社も含むデリバリースタッフや路上の物売りなどの日雇いという就業形態の人々が苦しくなると考え、またそうした実情で暮らしているミャンマー人が非常に多く、生活貧窮者が増えると思っていたからだという。ミャンマーでは月末に給料を受け取るケースがほとんどで、クーデター直後の2月1日から無給でデモに参加しても有給休暇を活用でき、正規雇用の従業員の生活がすぐに困窮する恐れはないが、一方で何も保証のない日雇い労働者にとっては生活が厳しくなっていくことは明らか。さらに社会課題を解決するのがスタートアップ起業家としての使命であると感じていたため、「目の前で生活に困っている人がいるなら助けてあげたい」と寄付活動を決意した。 全文を読む >> (全文をお読みいただくには「プレミアム会員」のご登録が必要となります)