TOP対談

<2015年7月号>ヤンゴン経済大学学長 キン・ナイン・ウー 氏

今回のテーマ:需要が増す人材育成にどう取り組むか ヤンゴン経済大学学長 1958年、ミャンマー・パテイン生まれ。1978年にヤンゴン経済大の前身となるヤンゴン・インスティチュート・オブ・エコノミクスを卒業、商学を学ぶ。2007 年、同大で博士号を取得。34年以上にわたり、同大などで教鞭をとる。専門は商学、経営学。中小企業論や地域開発論などの研究が多い。2013年から現職。 1995 年にMBAコースを開設 永杉 本日はお忙しいところ貴重なお時間を頂きありがとうございます。ヤンゴン経済大学は、首相や大臣、そして著名なビジネスマン等多数の優れた人材を輩出している名門大学とお聞きしております。弊社の関連会社に人材紹介事業もありますが、優秀なミャンマー人への求人はひっきりなしです。その中で、ビジネス人材の育成で中心的な役割を果たすヤンゴン経済大学の取り組みをぜひお聞きしたいと思います。 キン 本学は古くからビジネス人材の育成に取り組んできました。1995年には経営管理学修士(MBA)のコースを設けています。当時は社会主義経済から市場経済に移行する時期で、多くのビジネス人材が必要となっていたという経緯があります。2000年には、エグゼクティブMBA プログラムを設け、35 歳くらいの実務経験のある高いレベルの経営人材の育成を始めました。オンラインMBA もあります。また開発分野にも力をいれており、公務員らを養成する公共経営修士(MPA)や、NGO などで仕事をするための開発学の修士課程も設置しています。2012年から、銀行や金融を学ぶ修士課程を設けました。 日本のメガバンクも奨学金 大学や企業と提携進める 永杉 ミャンマーでは先駆的な取り組みを続けてきたのですね。日本を含め、海外の大学や企業とも積極的に連携していると聞いています。 キン 日本の神戸大学や立命館大学のほか、帝京大学などとも協力関係があります。今年に入り、帝京大学と覚書を結び、学部生2人が全額奨学金を受け帝京大学に2年間留学することになりました。 また企業では、三井住友銀行、みずほ銀行、三菱東京UFJ 銀行、イオン1%クラブなどから奨学金をいただいています。両親がいない学生や兄弟が多い学生の力になっているほか、優秀な学生を支援していただいています。こうした援助は、日本企業が企業の社会的責任(CSR)として行っていますが、ミャンマーの若い世代が日本の企業風土を知ることによるメリットもあるでしょう。シンガポールやベトナムの銀行、企業からも援助があります。ただ、こうした支援が今後も続くかどうかわかりませんので、その点が課題です。 高度人材育成へ企業がカリキュラム提供 永杉 会計やマーケティングなどの分野で人材不足が指摘されています。優秀な人材に対する求人はとても多いのですが、率直に申し上げますとミャンマーの人材は海外企業が求めるレベルとは大きな差があります。 キン とても重要なポイントです。高度な人材を育成するため、カリキュラムの面でも外国の企業から協力を得ています。例えばみずほ銀行は奨学金だけでなく、年間8 回の講義を通じ銀行や証券取引の実務について教えてくれています。生徒のレベルを上げるためには教員のレベルアップも重要ですので、教員育成のために海外の大学とも連携しています。 永杉 教育者として、最近の若者をどう感じていますか。 キン 最近の学生はとても知識を得ることに積極的です。過去40 年間、ミャンマー人には海外で学ぶ機会などなかったのですが、2011年の民政移管で海外との協力関係ができてチャンスが開けました。 認められれば頑張る従業員 永杉 若い人材が育ってくれば、ミャンマー経済の将来は明るいですね。私は、ミャンマー経済については楽観的な見方をしているほうなのですが、先生はいかがですか。 キン 政治的な安定が重要でしょう。国民が協力して国を安定させなくてはいけません。そして人材の質も重要です。また、さらなる発展のためには規制緩和も必要でしょうね。 経済発展には人材がカギ 外国企業と連携して“実学”教育 永杉 先生は経営学がご専門とのことですが、ミャンマーの企業と外国企業との経営の違いをどのように考えますか。また、海外からの進出企業はミャンマーで活動する際に、どういったことに注意しなくてはならないでしょうか。 キン ミャンマーの経営スタイルはとても伝統的で、文化や宗教に基づいています。従業員は課長や部長ら上司を尊敬し、指示をよく聞きます。「できるか」と聞かれれば、常にYES と答えます。その結果、中央集権的な経営スタイルになります。欧米の経営とは大きく異なりますね。 外国企業がミャンマーでうまく経営をするためには、ミャンマー人従業員の頑張りをしっかりと把握、評価してほめてあげることが大切です。そうすると、彼らは心から喜び、一生懸命仕事をするでしょう。 永杉 本日はありがとうございました。さきほどのお話の通り、国の発展には人材がカギだと思います。ミャンマーにおいて、今後もヤンゴン経済大学の役割はますます大きくなることでしょう。ご活躍をお祈りしています。 ビジネス人材の育成急務 ヤンゴン経済大学は英領インド統治下の1924年、ラングーン大学(現ヤンゴン大学)の一学部として設立された。1964年に当時の教育改革の流れでヤンゴン・インスティチュート・オブ・エコノミクスとして独立、1995 年にMBA、1998 年には博士課程を設けるなど1990年代からビジネス人材の育成に注力した。2014 年に教育改革の一環として、現在のヤンゴン経済大学に組織変更した。 ミャンマーのビジネス分野の人材は、対外開放と急速な海外企業の進出で深刻な人材難に陥っている。大企業での勤務経験を持つ人は一握りで、企業の経営層には海外からの帰国組が多い。中でも、複式簿記など国際的に通用する経理処理や、組織的なマネジメントを行うことのできる人材が不足しており、実践的な教育カリキュラムで、ビジネス人材を育成することが急務となっている。 MYANMAR JAPON CO., LTD. 代表 MYANMAR JAPON および英字情報誌MYANMAR JAPON+ plus 発行人。ミャンマービジネスジャーナリストとして、ビジネス・経済分野から文化、芸術まで政府閣僚や官公庁公表資料、独自取材による多彩な情報を多視点で俯瞰、マーケティング・リサーチやビジネスマッチング、ミャンマー法人設立など幅広くミャンマービジネスの進出支援、投資アドバイスを務める。ヤンゴン和僑会代表、一般社団法人日本ミャンマー友好協会副会長、公益社団法人日本ニュービジネス協議会連合会特別委員。

<2015年6月号>衆議院議員 逢沢一郎 氏

今回のテーマ:日本は、ミャンマーへの支援をどう進めるか 衆議院議員、日本・ミャンマー友好議員連盟 会長 1954年生まれ、岡山県出身。慶應義塾大学工学部卒業後、松下政経塾に第一期生として入塾した。1986年、衆議院議員に初当選し、現在当選10回。2003年に外務副大臣に就任。2012年から日本・ミャンマー友好議員連盟の会長を務めている。ミャンマーのほか、アフリカやトルコなど新興国に関する活動にも従事している。自民党の国会対策委員長、衆議院の議院運営委員長や予算委員長など要職を歴任した。ツイッターを積極的に活用しており、国際関係やインフラについての発言が多い。 ビルマ戦線の戦没者追悼 若いころから関わる 永杉 本日は、お忙しいところお時間をいただきありがとうございます。さっそく質問に移りたいと思います。外務副大臣を務められ、また日本・ミャンマー友好議員連盟の会長でもあり、ミャンマー関係には大変力を入れておられるとお聞きします。そもそもミャンマーに関わる縁というのは何だったのでしょうか。 逢沢 私は岡山市の出身ですが、第二 次世界大戦では岡山県出身の将兵がビルマ戦線で戦った例が多かったのです。戦後すぐに、岡山ビルマ会という団体が発足し、ビルマでの戦没者を追悼、慰霊する活動を始めました。衆議院議員を務めていた祖父が日本遺族会の創始者の1 人だったため、私も若いころから戦没者を追悼する活動には参加していました。それに加え、無事帰還した方の中には県議会で議員になったり、有力な経済人になったりした方も岡山県に多かったので、そういった方々を通じてミャンマーとの関わりができたのです。 ヤンゴンの日本人墓地の中には岡山県の慰霊碑があるのですが、そこに揮毫もさせていただいています。私で良かったのかな、と思っていますが。 友好議連などたびたび訪緬 永杉 なるほど、御祖父様の代からの縁なのですね。具体的には、どのような活動をされてきたのでしょうか。 逢沢 ミャンマーの医療・保健衛生の問題では、岡山大学病院の先生が献身的な努力をしてこられました。岡山大学は、ミャンマーの保健省と正式に協定を結んで支援活動をしてきました。近年、ほかの大学にも呼びかけて連合体を組織し、より厚みのある支援が可能になりました。日本・ミャンマー友好議連の会長として、こうした活動に協力しています。 永杉 実際、何度もミャンマーへ足を運ばれていますね。 逢沢 2013 年に、感染症に関する事業の視察で訪れました。また、2014年の1 月には、前年にシュエ・マン下院議長が訪日したのを受けて、衆議院が友好議連を派遣する形でミャンマーを訪れています。同年7 月にも行き、国会議員らと意見交換をしています。 官民協力でインフラ輸出をティラワを成功の象徴に 永杉 ところで国際援助の分野では、アジアインフラ投資銀行(AIIB)の例でみられる通り、中国が存在感を増しています。アフリカや太平洋諸国では顕著ですし、そしてカンボジアなどASEAN 諸国の一部でもそうでしょう。その中で、ミャンマーでは日本が成果をあげていると思います。今後のミャンマーへの支援のあり方をどう考えていますか。 逢沢 ミャンマーと日本は、歴史的にも特別な関係があります。大半の時代は友好的な関係でした。ミャンマーでは2011 年に軍政から民政移管し、極端に言えば、明治維新と戦後の改革とIT 革命が一度にやってきたという表現ができるでしょう。新しい国としてスタートを切ったミャンマーが成功するように、日本もお手伝いをしなければいけないと思います。官民の支援がWINWIN な関係をもたらす局面が多くあります。 支援の一つは、キャパシティビルディングです。法体系や行政の仕組み、制度をきちんと整えることが基礎になります。もうひとつは、何と言っても人材の育成です。スキルを持った労働者が圧倒的に不足しています。例えば、民政移管後に洪水のように中古車が入り込んでいますが、そうすると整備する技術や知識を持った人を育成する必要があります。 個別のケースでは、投資や貿易を促進するためには、日本の銀行の活動も必要でしょう。今回、3つのメガバンクに支店開設の許可が与えられたことは、財務省という一部局を超えて、ミャンマー政府、国民の期待の表れでしょう。周辺国には不満も残ったと思いますし、ミャンマー側の大きな決断だったと思います。日本との関係強化を最優先に考えてもらっているので、次のステップに移らないといけないですね。 ミャンマー人の気持ちを大切にした支援を期待される国だからこそ、応えなければならない 永杉 インフラ輸出の重要性についても強調されていますね。ミャンマー郵電(MPT)はKDDI、住友商事とがっちり組んだ結果、回線の速度が驚くほど速くなっています。マンダレー国際空港やティラワ経済特区(SEZ)の例もあります。ミャンマーに対しては、どのようにインフラ輸出を進めたら良いと考えていますか。 逢沢 象徴的事例として、どうしても成功に導かないといけないのはティラワです。ミャンマーの期待に応える製造業が工場を作るようになることです。港湾の整備も大切です。港湾整備も日本に任せてもらい、日緬協力の象徴に導きたい。また、ヤンゴンの自動車の混雑は大変なものです。山手線のような環状鉄道や、ヤンゴン・ネピドー・マンダレーを結ぶ鉄道などで、ミャンマーの現実を捉えたお手伝いがしたいですね。電力不足も成長のボトルネックのひとつですので、発電事業も進めたいと思います。こういったことを、官民が連携してしっかり進めて行かなければならないと思います。 農業が国の基本 技術供与で生産性のアップを 永杉 ミャンマーは今、すさまじいスの投資による経済成長はもちろんのこと、海外の情報も一気に入ってきています。今年は総選挙もあり、政治制度改革も進めています。より良い方向へ向かうために、日本はどのように後押しするべきでしょうか。 逢沢 スピード感を持った近代化は必要ですが、一方で人々の日々の暮らしや気持ちを大切にしないといけないと思います。ヤンゴンの近代化のスピードと農村の変化では格差ができることは間違いないところです。それはやむを得ないことですが、ミャンマーは農業国です。農村の安定や農民の所得向上を忘れてはいけません。農業の生産性の向上のための技術が必要です。近代化というと、インフラや電力、通信に目が行きますが、一番大切なのは農業。灌漑などで生産性のある農村を作ることが求められていると思います。 永杉 農業がミャンマーの根幹であるとのご指摘、その通りだと思います。前号で対談したウィン・ミン商業大臣もその点を強調されておりました。幅広い分野で日本の政府と民間が手を合わせて、ミャンマーがより良い形で経済発展を果たせるように協力できれば嬉しい限りです。今後のご活躍を期待しております。 ミャンマーにも友好議連が発足 日本・ミャンマー友好議員連盟は、訪緬のたびテイン・セイン大統領やシュエ・マン下院議長と会談を行っている。2014 年1月の訪問に合わせ、ミャンマーの国会議員でつくるミャンマー・日本友好議員連盟が発足。ネピドーで日緬の友好議連が合同で総会を開いた。今後毎年、両国の議連による合同総会を開く予定だ。 ミャンマーの政財界には、日本留学経験者や日本について詳しい人も多い。国会議員同士の交流は、日緬の太いパイプのひとつとして、両国関係の礎になることが期待される。 MYANMAR JAPON CO., LTD. 代表 MYANMAR JAPON および英字情報誌MYANMAR JAPON+ plus 発行人。ミャンマービジネスジャーナリストとして、ビジネス・経済分野から文化、芸術まで政府閣僚や官公庁公表資料、独自取材による多彩な情報を多視点で俯瞰、マーケティング・リサーチやビジネスマッチング、ミャンマー法人設立など幅広くミャンマービジネスの進出支援、投資アドバイスを務める。ヤンゴン和僑会代表、一般社団法人日本ミャンマー友好協会副会長、公益社団法人日本ニュービジネス協議会連合会特別委員。

<2015年5月号>ミャンマー連邦共和国 商業大臣 Win Myint 氏

今回のテーマ:岐路にあるミャンマー経済をどう見るか ミャンマー連邦共和国商業大臣 1954年、 ザガイン地方生まれ。2011年に商業大臣に任命されるまでは国会議員を務めていた。経済界のリーダーとして知られ、1999年から2011年までミャンマー商工会議所の会頭を務めた。エネルギー関連企業を経営するほか、サッカーのミャンマー・ナショナル・リーグ(MNL)のザヤシュエメFCのオーナーでもある。日本についても知識が深く、日本の武蔵野大学の客員教授を務めるほか、二松学舎大学からは名誉博士号を授与されている ミャンマー経済 問題はあるが影響大きくない 永杉 本日は公務のお忙しい中、貴重なお時間を賜りありがとうございます。日本語の情報誌、そして英字版を発行していることにより私のもとにはいろいろな情報が集まってきますが、日本企業はいま、ミャンマーに非常に注目しています。今年、来年とさらに日本企業の投資が増えると思います。 ウィン 2011年に新体制になってから、海外からたくさんの投資が入っています。その中でも、日本が一番多いと言っても過言ではないと思います。また、社会の発展のためにはメディアは重要です。ミャンマーのメディアは、以前は未熟だったのですが、自由化して2年ほどが経過し次第に力をつけています。そのような中でMYANMAR JAPONのインタビューを受ける事は大変喜ばしいことです。 永杉 誠に光栄なお言葉です。ありがとうございます。それでは、質問に移ります。ミャンマーは外資系企業の投資によって、経済成長が著しい一方で、輸出入の不均衡による貿易赤字、またインフレ懸念も持ち上がっているなど、多くの課題があります。ミャンマー経済の現状について、どのようにお考えですか。 ウィン ご指摘の通り、海外直接投資(FDI)が増えています。過去4年間でFDI は170 億ドルに上りました。2014年度には、最大の70 億ドルに達しています。 たしかに、最近のミャンマー経済には不安定な部分があると国際通貨基金(IMF)も指摘しています。IMF は、シャン州北部ラオカイでの紛争、労働者のボイコット、学生のデモなどの問題を挙げ、インフレ率の上昇や経済の減速に直面するだろうと予測しています。しかしほとんどの問題は、すでに関係部門が対処しており、経済成長に大きな影響はないと考えています。 ミャンマー人は日本製品信頼 永杉 巨額の貿易赤字についてはどう考えますか? 貿易赤字は仕方がない、との考え方もあります。なぜなら、国が成長する過程において輸入は必須で、貿易赤字が一時的に拡大することは自明の理だからです。 ウィン その通りだと思います。私は12年間ミャンマー商工会議所の会頭をしていましたが、ミッションで日本をよく訪問しました。また、商業大臣に就任した際に東京や京都を訪れました。私は800 社以上の日本の企業を見ております。日本の経験を、こうした問題解決に生かすこともできると思います。ミャンマーは民政移管してまだ4年、若い政府ですから問題もあります。 永杉 日本企業にとっては、どのような分野での投資が有望と考えますか。また、日本企業の優れた点は何だと思いますか。 ウィン 分野としてはまず、交通や製造業、建築業などが挙げられます。また、ホテルや金融、保険などのサービス分野も有望だと思います。農業もいいでしょう。日本製品の品質は、ほかの国と比べて一番だと思います。輸入自動車の90%が日本製だとされています。カメラなど電気製品も多く輸入されています。日本製品が信頼できると思っているミャンマー人は多いですよ。 永杉 農業もミャンマーにとっては非常に重要な分野ですね。農業分野ではたとえばどのような形の投資が必要でしょうか。 ウィン ミャンマーには土地がたくさんあります。しかし技術がありません。日本の技術が加われば、ミャンマーの農業はもっと発展することができます。成功例としては、ゴマがあります。マグウェ管区では、日本の技術指導を受けてゴマを栽培し、それを日本に輸出するようにしました。その結果、とても良質なゴマが取れるようになりました。野菜や果物もポテンシャリティがあると思います。シャン州と日本は気候が似ているので、日本にある野菜を栽培することができると思います。シャン州でキャベツを栽培して、日本の技術でドライ加工し、日本に輸出している例もあります。ネピドーでも、野菜の乾燥工場ができました。また、日本の大手企業がシャン州やマンダレーで農園の開発のための調査を始めました。 ミャンマー経済 問題はあるが影響大きくない ティラワ特区は先行している 永杉 ところで、ティラワ経済特区(SEZ)の開発は日本が協力していることもあり、非常に関心が高いプロジェクトです。期待の声が大きい一方で、作業の遅れを心配する声も聞かれます。 ウィン ティラワは、チャウピュ、ダウェーとあわせて3 つのSEZ のうちで、一番先行していると言えます。投資を促進するため、インフラ整備を進めています。海外からの輸入資材には税金が免除され、製造コストが安くすみます。国際ルールを適用し、スムーズにビジネスが進む形にしています。 ティラワSEZ については、ニャン・トゥン副大統領が各部署をまとめる形で陣頭指揮を取り、しっかりと進めています。何かあれば、副大統領が直接指示を出しています。たしかに問題もありますが、解決するために尽力していますので、心配はいりません。 永杉 工場で労働者のストライキが起こっています。賃金の上昇はもちろんよい側面もありますが、ストが経営に影響を与える点も無視できません。 ウィン 問題を解決するために、労働省が指導をしています。最低賃金などを法律で決めています。安価な住宅の建設も計画しています。徐々に問題は解決すると考えます。 永杉 私も問題は解決されると思います。日本でも、40 ~ 50年前には同じような状況でしたが、問題を乗り越えてきました。 ウィン はい、私もそのように思います。ミャンマーは、まだ民主化して4年という若い国ですから。近い将来、問題は解決できます。 政治と経済を一度に改革 永杉 いいことも悪いことも、日本の40年間で起きたことが、ミャンマーでは4年の間で起こっているような気がします。 ウィン ミャンマーでは、政治と経済を同時に改革しているので、このような問題が起こっているのです。ほかの国では、政治と経済を同時にではなく片方をまず改革するという方法を取っていますが、ミャンマーでは同時に改革しようとしています。 永杉 ミャンマーと日本は歴史的に深い縁があります。今後の二国間関係を発展させるためにどうしたらよいと思いますか。また、日本人へのメッセージはありますか。 ウィン 新政府で、日緬関係はより良くなりました。国民も、日本のことがとても好きです。両国のつながりは、今後もっと強くなると思います。日本の方は、ぜひミャンマーにお越しください。商業省も、いつもドアを開けて待っていますので、いつでも相談してください。 永杉 そんなことをおっしゃっても大丈夫ですか? MYANMAR JAPON を読んだ日本のビジネスマンが商業省に押し寄せて、いまよりもっと忙しくなるかも知れませんよ(笑) ウィン 大丈夫です。ミャンマーの経済発展に尽くすことが私の責任です。いつでも相談に乗りますよ。 経済改革の中核官庁 商業省は貿易の監督や輸出入の促進などを担当する経済官庁。ミャンマー政府が進める経済改革について中核的役割を果たすことが求められている。長らく国軍幹部が大臣を務めてきたが、2011年に経済人で政治家のウィン・ミン氏が抜擢された。 外資系企業からは貿易実務の透明化を求経済改革の中核官庁める声が強く、貿易関連法規の明確化や、ミャンマー語と英語での法令集の作成などに取り組んでいる。また貿易赤字が拡大しているためミャンマーの輸出促進も重要な課題となっている。 MYANMAR JAPON CO., LTD. 代表 MYANMAR […]

<2015年4月号>日本財団会長 笹川 陽平 氏

今回のテーマ:日本財団、その知られざるミャンマーの活動 日本財団会長 1939年生まれ、東京出身。6歳の時に東京大空襲を経験した。日本財団の前身の日本船舶振興会会長だった父の笹川良一氏に師事する形で、世界各国の海外援助の現場を目にする。2005年に会長に就任した。海外援助の最前線に足を運ぶ現場主義で知られる。2013年2 月、日本政府からミャンマー国民和解担当日本政府代表に任命され、ミャンマーの少数民族の代表らと国民融和のための協議を重ねている。ハンセン病制圧がライフワークで、世界保健機関(WHO)のハンセン病制圧特別大使も務める。 国家元首に会うことが必要 永杉 本日は、お忙しい中お時間を頂きまして、誠にありがとうございます。早速ですが、日本財団の活動についてお伺いしたいと思います。 笹川 世界有数の人道援助を行う財団で、アジアでは最大規模の民間財団になります。基本理念は、政治思想・宗教・人種・国境を超えて人道活動を行うということ。旧ソ連のチェルノブイリ事故後の支援も10年間行いましたし、中国では、天安門事件の前から、医師の招聘などの活動をしていました。日中関係が悪化し、政府間の交流がストップした間も、活動を続けました。 永杉 一般の方にはあまり知られていない、地道な活動を続けてこられたのですね。 笹川 はい。しかし、私達の特徴はそれだけにとどまりません。ミャンマーでは、1980年代の初期からハンセン病の医療面での制圧や差別等の社会的問題解決に向けて、たくさんの施設を回り支援してきました。小学校も300校ちかく建設支援をしています。ただ、そのような草の根(グラスルーツ)活動だけではなく、昨年はミャンマー国軍幹部の訪日プログラムを実施し、自衛隊との交流も始めました。日本防衛省の招聘によって、ミン・アウン・フライン国軍総司令官が昨年来日されましたが、その際もご協力させていただきました。 私達は、大統領とも議論するし、関係各部署の大臣とも協力します。グラスルーツも大切ですが、この国を良くするためには、上下だけでも左右だけでもだめです。問題処理には、立体的に多角的にアプローチするのが大切です。アフリカに行っても、必ず国家元首にお会いします。そして「もっと良くするためにはこうしてください」と言います。例えば保健衛生問題なら、保健大臣が横に座りますから、大統領が「君、しっかりやりなさい」と言うと、彼らも喜びます。大統領が言えば予算がつきますから(笑) 教師が身銭を切って奨学金を拠出 永杉 草の根からトップまでの幅広いアプローチとは素晴らしいですね。 笹川 一般的に援助関係者は、民主主義の説明から入りがちです。上からの目線で「教えてあげます」という態度も目につきます。私達は、そうではなくて、民主主義という言葉を使わずに教えるのです。民主主義だ、人権だ、ということを村人に話してもなかなか理解されません。学校が必要というところには「学校建設にあたってあなた達はどのような協力できますか。誰が指導者になりますか。皆さんの学校なのですから、皆さんで決めてください」と問いかけます。3 回も4 回も話をします。中には反対する人もいるけれど、大多数が賛成するならそうしようと決めます。その過程を経て民主主義を実感してもらいます。世界中で学校の建設支援をしてきましたが、ミャンマーでは、貧しい地域の学校の先生たちが、自分の少ない給料からお金を集めて子供たち奨学金を出しているんですよ。1400人位の先生が1 人月々500Ksずつ出して、奨学金にしているんです。「世界でも例がないから、表彰してやってください」とテイン・セイン大統領に申し上げました。 上下だけでなく、左右だけでもなく、多角的な見方が必要 日本のやり方は信頼を得ている 永杉 ミャンマーにはだいぶ以前から関わっていらっしゃいます。その理由をお聞かせください。 笹川 終戦時私は6 歳ですから、戦争を知っている最後の世代になります。戦後日本が、ミャンマーからお米をもらったことも覚えています。また、アジア諸国の独立に際しては、南機関を中心とした日本軍が、ミャンマーに限らず大きな役割を果たしています。インドの国民軍も、藤原岩市という日本人がチャンドラ・ボースに働きかけて作らせたのです。昨年9月に日本を公式訪問したミン・アウン・フライン国軍総司令官は、日本に来て真っ先に南機関の鈴木敬司陸軍大佐の墓参りをしました。墓だけでなく、生家も訪れています。鈴木大佐はミャンマー国軍創設にゆかりのある方だからです。 日本人は、アジアの平和と安定のために尽くしてきました。ただ、日本人は奥ゆかしいというか、自分たちのした良いことを言わないでいることが良い事と思っています。いわゆる陰徳を積むという考え方です。しかしこれは、国際社会では欠点となっており、通用しません。日本のやり方は世界中で大きな信頼を得ています。正論や支援活動は自信をもって伝えて良いと思います。 民族融和のために奔走 永杉 2013年2月に、日本政府から「国民和解担当日本政府代表」に任命され、ミャンマーの民族融和のために奔走されているとお聞きしています。会長自ら山奥や辺境地帯まで行かれているのですか? 笹川 政府と少数民族武装勢力との全面停戦、そして政治協議へのプロセスをきちっと乗せるための役割を果たしております。 現在日本財団は、少数民族地域の紛争被害者に対する人道支援を大規模にやっています。財団の自己資金のみならず、日本政府外務省の資金も活用させていただいております。ミャンマー政府、武装勢力の双方との信頼関係のある日本財団だからこそ出来る活動です。すなわち、日本財団が独自の資金で、10年以上支援してきた小学校建設などの成果が一つずつ結びついているのです。 少数民族地域には、内戦によって被災したたくさんの国内避難民がいますが、そこにも武装勢力の協力を得ながら現地を視察しました。現場に行かないと適切な援助の仕事はできません。当然ホテルもレストランもない過酷な地ですが、私自身が足を運びます。寝る場所なんて、別に寝られればどこでもいいじゃないですか。僧院で寝ることもありますよ。 よく誤解されるのですが、笹川はプライベートジェットで世界を動き回ってるとか、ホテルは高級ホテルしか泊まらないと思われているようです(笑) 永杉 失礼ながら、本日取材させて頂いたこの部屋もとても質素で、カメラマンがライトを採るのさえとても苦労していました(笑)。今日お会いして、私が今までにイメージしていた笹川会長とはまったく異なりました。まさに本物の話をお聞かせいただき、日本人としての誇りも感じたインタビューでした。今後もミャンマーのため、日本のためにご活躍ください。 日本財団、100か国以上で活動  日本財団は、古くから海外援助活動を行っていた旧日本船舶振興会が2011年に改称した。これまで、アジアやアフリカなどを中心に100 か国以上で活動。 ミャンマーでは、ハンセン病の制圧活動、学校建設を始め、少数民族地域への援助を行っている。今年1月には、ミャンマー国立医療技術大学にミャンマー初の義肢装具士の養成機関を設立した。 MYANMAR JAPON CO., LTD. 代表 MYANMAR JAPON および英字情報誌MYANMAR JAPON+ plus 発行人。ミャンマービジネスジャーナリストとして、ビジネス・経済分野から文化、芸術まで政府閣僚や官公庁公表資料、独自取材による多彩な情報を多視点で俯瞰、マーケティング・リサーチやビジネスマッチング、ミャンマー法人設立など幅広くミャンマービジネスの進出支援、投資アドバイスを務める。ヤンゴン和僑会代表、一般社団法人日本ミャンマー友好協会副会長、公益社団法人日本ニュービジネス協議会連合会特別委員。

<2015年3月号>駐日ミャンマー連邦共和国大使 Khin Maung Tin 氏

今回のテーマ:伝統的な友好関係を次のステージへ 駐日ミャンマー連邦共和国大使 1955年生まれ。シュエイ・ポ市。理学士(防衛大学)・文学修士(防衛研究所)。1976年にミャンマー国軍(空軍)に入隊、航空職と管理職を務める(階位は少尉から准将まで)。 2010年9月に外務省へ転属。翌11年2月、駐日ミャンマー連邦共和国大使として着任し現在に至る。趣味はゴルフ、読書、執筆など。 登竜門としてのポジション 永杉 本日はインタビューの機会を頂戴し、誠に光栄です。駐日ミャンマー大使というポジションは、ウー・ラ・ミン前駐日大使が現在ヤンゴン市長を務められておられるように政府要職の登竜門でもあり、重要なポストだと伺っております。キン・マウン・ティン大使は、元空軍准将というご経歴をお持ちとのことですが、現在の任務に就かれていることをどのようにお考えですか。 ティン 私の使命は両国の友好関係がより深められていくべく努力していくことにあります。ミャンマーは、2011年から大統領の指示で改革がはじまり、政治、ビジネス、社会全般にわたり大きく変化を遂げました。その評価は世界各国、さまざまであるかと思いますが、日本からは多大なサポートをして頂いています。 永杉 着任は11年2月でしたでしょうか。以来、大使が携われた仕事のなかで最も印象深かったのは何でしょうか。 ティン 大使に着任して間もなく、日本外務省の大臣、副大臣がミャンマーを訪れられるように準備をいたしました。一方で、12年にはテイン・セイン大統領が訪日を果たし、それを受けて13年に安倍首相が訪緬する際も事前の調整に尽力しました。 日本の外務省が協力的であったこともあり、打ち合わせはいつもうまく行きました。また政府間外交の地ならしをしながら、民間交流の促進に向けたさまざまな取り組みをいたしました。ミャンマーからより多くの留学生が日本を訪れられるように計らったり、保健・医療分野における支援(ODA)をいただくために尽力したりいたしました。そのほか、メディア関連の人たちをミャンマーに招いたことや、共同通信のヤンゴンオフィス設立にも協力いたしました。 真面目でフレンドリーな国民性 永杉 大使のご尽力もあり、日緬関係はかつてないほど友好的なものになっていると思います。 これまで日本の各地を視察されたと伺っていますが、日本の社会についてはどのような印象を抱いていますか。 ティン 日本はどこに行っても綺麗で、すべてが整然としているのがとても印象的です。日本の方々が礼儀正しい振る舞いをしていることや、社会システムがしっかりしていることに感心しています。たとえば、交通機関が時間通りに運行されていることは驚くばかりです。そして、日本人の仕事の進め方もまた特徴的であり、先のことまで見通し、ディテールを確かなものにしたうえで着手する姿勢には感銘すら受けます。 永杉 礼儀正しいというのは、むしろミャンマーの人たちの利点でもあるといえないでしょうか。 私が思うのは、ミャンマー人は識字率が高く、聡明であり、また真面目でフレンドリーで、とても温かいということです。ヤンゴンに住む多くの日本人がそう感じていると思います。 ティン たしかにミャンマー国民はフレンドリーです。勤勉で一生懸命に働きます。また、足ることを知る人が多いともいえます。満足度が高いのです。信仰心が厚く、寄付にも積極的です。三世代の家族が同じ屋根のもとで一緒に生活を送り、両親や目上の人、僧侶に対しては敬意を以って接しています。 良好な両国の関係は今後も進化と発展を続けてゆく 投資誘致に向けた取り組み 永杉 数十年前の日本もいまのミャンマーと同じような空気に包まれていたと感じることがあります。そんな互いに共通点をもった両国の関係について、今後どのような期待を抱かれていますか。 ティン 経済交流における発展を期待したいですね。私たち大使館では、経団連やジェトロ、ヤンゴン日本人商工会議所(JCCY)、国際協力機構(JICA)などが手がけるさまざまな経済セミナーについて橋渡しの役目を担ってきました。日本からの投資拡大やビジネスマッチングにも大きな役割を果たしてきたといえるはずです。 永杉 ミャンマーには、知的水準の高い人材のほか、豊富で手付かずの天然資源や、中国とインドという2大国に隣接する交通の要衝といった地理的アドバンテージもあります。しかし、外国企業がいざ投資するとなると、電気や物流など産業インフラの面で大きなハードルがあるというのが正直な感想です。 ティン こうした課題への対処は待ったなしだと政府も認識しており、克服に向けた取り組みを優先的に行っています。今までは国際社会における経済制裁もあり、なかなか実行に移すのが難しかったのですが、外国投資法の修正をはじめとする法整備や、諸手続きの簡素化、あるいは金融機関のサービスの充実にも取り組んでいます。 永杉 飛躍的な投資環境の整備が期待できるということですね。 ティン そうです。インフラ面で遅れているゆえに、それが逆に外国企業にとって大きなビジネスチャンスとなっているところもあるかと思います。取れるリスクの範囲内で、確実に事業を進めていくことが現実的な選択といえるのではないでしょうか。日本企業は技術力、資金力、信頼の厚さ、どれをとっても有利な立場にあります。ぜひ引き続きミャンマーに投資していただきたいと思っています。 友好関係のさらなる「進化」を 永杉 今後、両国は経済面でますます密接な関係になっていきそうです。 ティン 三菱商事やJALUX が手がけるマンダレー空港のプロジェクトや、日本のメガバンク3 行に対する営業権の認可、MPT と住友商事やKDDI が協力して進める通信インフラ整備、また証券取引所の開設計画、そしてティラワ経済特区(SEZ)の開業など日本との提携プロジェクトをあげると枚挙にいとまがありません。ダウェイ経済特区の開発も重要です。 ミャンマーは海外からの技術の導入も必要としています。今後、民主的かつ近代的な国づくりに向けて一層の改革を進める上で、日本や国際社会には引き続きご支援をお願いしたいものです。日本政府や各団体、組織、民間企業の方々からは、両国間の関係強化や相互理解のために努力していただいており、引き続き友好的な関係を維持、発展できることを願っています。 永杉 ミャンマーを訪れる観光客も増えていますし、今年もまた大きな飛躍がありそうですね。 ティン ミャンマーにはカカボラジ山のような名山や風光明媚なインレー湖、世界遺産に申請中のバガンなど素晴らしい観光資源が多くありますので、さらなる観光誘致にも努めたいものです。 そのうえで、ODA を通した鉄道ほか交通インフラの整備にもぜひ注目していただけたらと思います。ヤンゴンとバゴーを結ぶ鉄道の電化計画も進展中です。 永杉 理想と現実にはまだまだ大きなギャップがありますが、変化のベクトルは良い方向に向かっていると考えてよろしいでしょうか。 ティン ええ。変化には時間がかかるものもありますが、必ず良い方向で着地点が見つけられるはずだと確信しています。昨年はミャンマー日本外交関係樹立60 周年という節目を迎えましたが、伝統的に友好を保ってきた両国の関係は今後も進化と発展を続けていくはずです。 永杉 日本とミャンマー双方がお互いに対して抱いている期待は大きいといえます。足取りを確かに着実な発展があることを望むばかりです。本日は年明けのご多忙な折り本当にありがとうございました。 「ミャンマー祭り2015」の日程決まる! 日本ミャンマー外交関係樹立60 周年を迎えた昨年10月18、19日、秋晴れのもとで行われた「ミャンマー祭り2014」は大盛況。会場となった東京都港区芝の増上寺を訪れた来場者数は6万人と、初めての開催だった前年(2013年)の倍数近くにのぼった。 そして今秋。11月28日、29日に第3 回目となる「ミャンマー祭り2015」が開かれる予定だ。 外交樹立60 周年はあくまで節目であり通過点に過ぎない。「61周年」にあたる2015年は、ミャンマーと日本の交流の輪がますます広がり、両国の絆がいっそう深まる年になることは間違いない。 (写真は「ミャンマー祭り2014」の模様。ミャ ンマーの「寺子屋小学校」と明徳幼稚園の園児 たちが描いた『世界一大きな絵』が披露された。) MYANMAR JAPON CO., LTD. […]

<2015年2月号>ヤンゴン外国語大学学長 Dr. Lwin Lwin Soe 氏

今回のテーマ:たしかな語学人材をいかに育て、高めていくか ヤンゴン外国語大学学長・UNESCO ミャンマー国内委員会事務局長 ヤンゴン大学の前身であるラングーン大学を経て、1992年11月、同大学の助手として英語学部に赴任、1994年にヤンゴン大学で英語課程で博士号を取得。その後、ダーウェイ大学での勤務を経て、96年よりヤンゴン大学に移籍、助教授、教授へと昇進する。2007年から11年までヤンゴン教育学院の学長代理、11年にヤンゴン外国語大学の学長代理に就任。同年4月、UNESCO のミャンマー国内委員会の事務局長に就任。12年にヤンゴン外国語大学の学長に就任し、現在に至る。 日本語が英語に次ぐ人気に 永杉 今号では、語学人材養成の最高学府であるヤンゴン外国語大学(YUFL)について紹介させていただきたいと思っています。 まずお伺いしたいのは、日本語学部についてです。YUFL で日本語専攻の学生はどのくらいいるのでしょうか。 ルイン 毎年度の新入生は100人くらいですが、一部の学生は在学中に日本に留学していきます。したがいまして、全学年を通じますと大学に留まる学生の総数は300名くらいです。 ただ、朝7 時から8 時半まで実施している早朝クラスに約200名、夕刻に設けている人材開発プログラムに約300名が参加しておりますので、トータルでは800名以上もの学生がYUFL で日本語を学んでいることになります。 永杉 日本語を学んでいる学生は二番目に多いのですね。 ルイン はい。中国語の学習者も多いのですが、いまでは日本語が英語に次いで専攻者の多い言語となっています。ちなみに、中国語の専攻者は600名となります。 永杉 すべての言語の専攻者をあわせると何人になりますでしょうか。 ルイン 通常の昼間の学部ですと3308人の学生がいます。そして2000人を超える学生が朝と晩のコースで学んでいます。よって5300人を超える学生数を擁している計算になります。 永杉 じつに多くの学生さんがYUFLで学んでいるのですね。ちなみにミャンマー語を学ぶためにYUFL に在籍している日本人や外国人学生もいるのでしょうか。 ルイン ええ、おります。ミャンマー語センターが設置されており、外国人留学生に対して語学教育を行っています。今期は合計252名が在籍しており、そのうち78人の学生が次年度も学習を継続することになっています。 ビジネスでの実践を想定した教育も 永杉 ところで、日本語が人気の専攻科目になっているとのことですが、その理由はなんでしょうか。 ルイン ミャンマーの若者は日本語で仕事をすることに興味を持っており、通常クラスとは別に、臨時コースや夜間クラスに参加する学生も増えています。今日、多くの日本企業がミャンマーに現地法人を開設していることから、YUFL の日本語学部には多くの求人が来ており、就職率は100%に達しています。このことは、当学にとって大変誇らしいことです。 永杉 日本語を専攻するだけで就職ができるのは学生にとっては魅力的なことでしょうが、人材ビジネスに携わる立場から観察しますと、雇用側が求める技能を備えた日本語人材の供給が十分ではないようです。この需給ギャップをいかに埋めてくのか、YUFL ではどのように考えられていますか? ルイン 通常クラスと専門クラスでは、日本の文化や、歴史、伝統、文芸・文化を含んだ科目があります。ビジネスマナー、ビジネス用語、職場のルールなどを教えたり、トレーニングの機会を提供することを計画しています。また、大学や企業とも協力していきます。創価大学、城西大学、国際福祉大学といった大学や、イオン1%クラブといった基金との間に当学は奨学金供与に関するMOU を結んでいますが、今年3月には沖縄の名桜大学との提携も予定しています。 学生たちには、優れた教育システムと環境で学業に携わってもらいたい 永杉 それは喜ばしいことですね。できれば、会社に入るまでに必要な基本スキルを学生時代に身につけられるのが望ましいと思います。私は21 歳の学生時分から日本、アメリカ、中国でビジネスに携わってきましたので、よろしければ自身が蓄積してきた知識と経験を提供させてください。 ルイン 有り難いお申し出をいただき光栄です。ビジネス知識を教える講義やトレーニングの提供は今年、2015年から開始する予定です。永杉さんのようなビジネスの最前線で活躍されてきた方にご指導頂けましたらとてもありがたいです。 提携大学・機関との活発な交流 永杉 ところで、数多くの学生さんがYUFL に入学してくるなかで、管理上さまざまな矛盾や問題も生じているのではないでしょうか。一番、タフな問題はなんでしょうか。 ルイン やはり教育者の確保でしょうか。いま、日本のNPO からネイティブ・スピーカーの講師を探すために支援をいただいています。 もともと、日本語学部の開設にはネイティブ・スピーカーの講師数名と学部長になるドー・スー・スー・シェインという者が当たりましたが、いまではネイティブ1名を含む26名の講師が在籍する規模になりました。そして、さらに増員する必要に直面しているのが現状です。日本語学部の卒業生に対して教育訓練を行うほか、外国の大学の博士号をもつ教師たちの招聘に取り組んでいます。彼らに当学の日本語学部に赴任してもらい、博士課程のカリキュラムを提供していただく予定です。 永杉 学生が勉学を続けていくうえでは、ハード、ソフト両面にわたるさまざまな環境整備が必要となります。物品面の確保も看過できない課題となっているのではないでしょうか。 ルイン 実は言語研究室が1974年にソニーから寄贈されましたが、ナルギス台風によって損壊しました。その後、別の研究室が贈られ、2012年にレベルアップしたものに生まれ変わったものの、良い状態にある研究室は6つあるうち2つのみです。これらが国際水準の品質に引き上げられるとともに、学生たちに相応の教育援助が行われ、学習施設の確保ができるようになることを望んでいます。 一昨年11月に日本を訪れ、大学を視察する機会がありましたが、日本の学生が近代的な教育システムを享受し、新しい教育施設を利用していることを知りました。私たちがそこから学べることは少なくないと思いました。 たしかな教育環境の確保のために 永杉 日本の企業が貴学にバックアップできることはありませんか? ルイン 最近のことですが、前述したイオン1%クラブ基金による一年目の奨学金として20人の学生が1人につき奨学金200 ドルを得ました。成績に秀でた学生は次の年度には300 ドルが得られる予定で、奨学金の総額は4000 ドルから9000 ドル、そして15000 ドルへと増えていきます。また、今年2月には学研より書籍が寄贈される予定です。こうした奨学金プログラムの存在や寄贈なども日本語を専攻する学生数の増加につながっているのだと思われます。 今後も他の大学や企業と協力し、先進的でたしかなシステムのもとで学生が学業に専念できる環境の確保とその進化に努めていくつもりです。 永杉 「MYANMAR JAPON」を通して貴学の状況を知った日系企業や機関が、今後、新たな援助をしようとオファーしてくることがあるかも知れません。ヤンゴン外国語大学と、その素晴らしい学び舎で教鞭を振るわれる先生の方々、勉学を続ける学生のみなさんのますますのご発展をお祈りしています。 ミャンマー語学教育の双璧をなす ヤンゴン外国語大学(Yangon Universityof […]